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札幌地方裁判所 昭和47年(わ)171号 判決 1972年11月22日

主文

被告人を禁錮一年に処する。

この裁判が確定した日から三年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和四七年一月一〇日午後六時四〇分ころ、普通乗用自動車を運転し、札幌市琴似八軒三条東四丁目先道路を宮の森方面から美香保方面に向かい直進進行中、当時路面が薄く凍結し車輪が滑走しやすい状況であつたばかりでなく、自車の前照灯が下向きで、付近が暗く前照灯の照射距離以上の見通しが困難であつたうえに、人通りもかなりあり、これと交差する小路も処々にあつたのであるから、横断者などの出現を予測して少くとも時速三〇キロメートル位まで減速進行すべき業務上の意義務があつたにもかゝわらず、時速四〇キロメートル以上の速度で進行した過失により、前同所付近の交差点を右から左に横断歩行し、既に中心点付近まで進出していた吉方トキノ(当六六年)を約19.7メートル前方にようやく発見して、急制動を施したが自車が滑走して間に合わず、自車右前部を同人に衝突転倒させ、よつて同人を腹部打撲による内臓損傷により、同日午後九時一〇分ころ札幌市琴似一条五丁目一五三番地琴似中央病院において死亡させたものである。

(証拠の標目)略

(補足説明)

被告人及び弁護人は、被告人は前方注視義務を尽し、かつ制限速度を順守していたものであるから過失はないと主張するので、前記過失を認めた理由につき補足する。

(一)  本件事故現場及び本件事故の状況

前掲各証拠を総合すると、次の各事実が認められる。

(1)  本件交通事故現場は、南西方の札幌市中央区宮の森方面から北東へ東区美香保に至る道路(東四丁目通り、通称八軒通り、以支東四丁目通りという)と、南東方の中央区桑園方面から北西へ西区手稲方面に至る道路との交差点内である。この交差点は交通整理が行われておらず、一時停止の標識や横断歩道は設置されていない。交差点の四隅には住宅が建て込んでいるため交差点に進入する車両にとつては左右(交差する道路)の見通しは悪い。

(2)  東四丁目通りは直線平坦なアスファルト舗装道路で、非舗装部分も含め幅員は約8.25メートルあるが、事故当時雪の堆積(高さ数十センチメートル)が両端にあつたため、車両の通行し得る有効幅員はアスファルト舗装部分の6.1メートル位であつた。一方桑園方面から手稲方面に至る道路は当時非舗装で、幅員は交差点から桑園方面は約6.45メートル、手稲方面は約5.47メートルであるが、これも当時道路両端の雪の堆積のため有効幅員はこれより狭い状況にあつた。なお交差する各道路とも歩車道の区別はなく、東四丁目通りは公安委員会により時速四〇キロメートルに最高速度が制限されている。

(3)  現場付近は住宅地帯であるが、東四丁目通りを宮の森方面から向かうと交差点手前約二〇メートルの右側(南東側)に小松商店があり、交差点を過ぎて約五〇メートルの左側(北西側)に商店や公衆浴場がある。

(4)  東四丁目通りの自動車の交通量はかなり多いが、本件事故当時、両方向とも自動車はじゆずつなぎになつているような状況ではなく、各自動車とも時速四〇キロメートル程度でスムーズに流れていた。一方本件交差点でこれと交差する道路の自動車の交通量はこれと比べると著しく少く、付近で東四丁目通りと交差する他の道路の交通量も少いので、東四丁目通りを走行する自動車の運転手はこの道路を優先道路と解しているようで(優先道路の指定はなされてない)、本件交差点を通過する際も減速する車両はあるが、徐行する車両はほとんどない状況である。なお、夜間東四丁目通りを走行する自動車は、対向車が多いので、ほとんど前照灯を下向きにしている。

(5)  一方本件事故現場付近の夜間の人通りは自動車に比べると少いといえるが、事故現場から東四丁目通りを宮の森方面に約二五〇メートル戻るとバス停があり、北西約一キロメートルには国鉄琴似駅もあるので、退勤時でもある本件事故発生当時(午後六時四〇分ころ)にはかなりの帰宅途中の歩行者がいたものとうかがわれ、その他商店への買物客や公衆浴場に行き帰りする者も東四丁目通りを通行していたものと推認される。

(6)  本件事故が発生したのは日没後二時間二二分後のことであるが、当時事故現場付近には街灯の設備がなく、前記小松商店や周囲の住宅の灯火は、当時雪の堆積があつたことを考慮に入れても、ほとんど事故現場の交差点を照らし出すまでには至らず暗い交差点といえる状況にあつた。

(7)  当時東四丁目通りのアスファルト舗装部分は、昼間溶けた雪が夜になつて冷えたため薄く凍結した路面になつていたが、凍結が薄いためアイスバーンとしては走行しやすい路面であつた。

(8)  なお東四丁目通りの南西(宮の森)方向約二五〇メートルと北東(美香保)方向約二二〇メートルの間の両側はほぼ住宅が続いており、その間に見通しの悪い八本位の道路や小路がこれと交歩している。

(9)  被告人は本件事故発生日時頃、普通乗用自動車(長さ4.66メートル、幅1.69メートル、スパイクタイヤ付)を運転し、東四丁目通りを宮の森方向から本件交差点に向け、時速四〇ないし四五キロメートルで進行していたが(前照灯は下向き)本件交差点のほとんど中央付近の東四丁目通りの中心線よりわずか右側(南東)を、黒つぽい和服を着た被害者が右から左(北西)に横断して来るのを約19.7メートル手前で認め、直ちに急制動の措置をとつたが、車輪が滑走して間に合わず、自車の右前部を同人に衝突させるに至つた。

(二)  前方注視義務について

検察官は被告人の過失として、前方不注視と減速義務違背の二つを主張しているが、前記認定事実を前提として、まず被告人に前方不注視の過失があつたか否かにつき判断を加える。

被告人は当公判廷において、大要、当時対向車はじゆずつなぎのように連なつてのろのろ運転をしており、その車両と車両の間を被害者は飛び出して来たのであつて、対向して来た四トン位の箱型の冷凍車(長さ八九メートル)の前部が自車の右斜前方二、三メートルに近づいたとき、その後から横断して来る被害者を約19.7メートル前方に認めたと供述するが、まず対向車がのろのろ運転をしていたのでないことは前記認定したところであり、六六才の老婆が連続して走行している車両の間を飛び出すということもまず考えられないところである。そうすると被害者が横断を開始する直前に宮の森方面に向け自動車が通過したか否か、即ち被告人からいえば、被害者が横断を開始した際その認識が対向車の存在によつて妨げられたか否かが問題となるが、被告人は捜査段階においては右の公判供述に沿うような供述は全くしておらず、対向車のことにもほとんど触れていないので、右のような対向車がなかつたのではないかとの一応の疑いは残る。しかしながら、証人末角和一の当公判廷における供述によれば、被告人は事故直後既に警察官に対し対向車の後から被害者が飛び出して来たと弁解していたことが認められ、被告人の検察官に対する供述調書には、「すれ違う対向車にも注意を取られた」との併述記載もあるので、右のような対向車があつたと認めるのが相当である。ただその対向車が被告人が当公判廷において供述したとおりの場所において被告人車とすれ違おうとし、被告人供述のとおり車種であつたとすると、検察官が論告において指摘したとおり、対向車の速度の関係から被害者が道路中央付近まで出ることは物理的に不可能であり(即ち、被告人が最初に被害者を発見した時の相互の距離19.7メートルから被告人と対向車までの距離二、三メートルと対向車の長さ八九メートルを控除した約九メートルを対向車が進行している間に、被害者が道路の中央部付近まで三メートル近く歩行したことになる)、被告人の供述は右の点においては信用し得ないといわなければならない。

そこで、被告人に最も有利に、即ち被害者が自己の前を宮の森方面に向け自動車が通過した直後に横断を開始したと仮定して、被告人として前方を注視していればより早く被害者を発見し得たか否かを検討する。まず最初に被告人が被害者を発見した時の被害者の正確な位置は必ずしも明確でないが、道路中央近く、即ちアスファルト部分の右側端(被告人から見て)から約2.7メートルのところと推認される。一方被害者は六六才の老婆で滑りやすい道路を横断するのであるから、その速度はせいぜい時速四キロメートル(秒速1.1メートル)であると考えられるので、自己の直前を自動車が通過すると同時に(実際上はわずかの時間の後であろうが同時と仮定して)アスファルト部分の端から横断を開始したとしても、前記の地点に達するまで約2.5秒要することとなり、右自動車(前記認定のとおり時速約四〇キロメートル、秒速約11.1メートルと推認される)はその間に約二七メートル走行することになる、また時速四〇キロメートル位の速度で進行している二個の車両が対向交差する場合、その間に少くとも一メートル位の間隔を保つことは経験則上明らかであるから(被告人車の車幅からしても可能である)、被告人とびては右対向車と交差するまで進路前方中央付近まで進出した被害者を発見し得ないのではなく、それよりだいぶ前に発見し得るはずである。ただ、前記認定のとおり、現場の交差点は暗く、被害者が横断を開始したとき次の対向車が交差点に近づいていたこともない(即ちその前照灯が本件交差点を照し出すには至つてない)のであるから、被告人としては、道路運送車両の保安基準として定められた前照灯が下向きの場合の照射距離三〇メートル以上手前から被害者を発見し得たと断定することはできないが、遅くとも三〇キロメートル手前からは被害者を発見することが可能であつたものと解すべきである。しかるに、被告人は被害者を19.7メートル手前に至つてようやく発見したのであるから、この点において被告人に前方不注視の過失があつたことは明らかである。

弁護人は、被告人が対向車の前照灯や交差点手前の小松商店の明りに眩惑され、黒い着衣の被害者を早期に発見し得なかつたと主張するが、対向車の前照灯が下向きであつたことや、被告人が検察官に対し「対向車のライトに眩惑されてはおりませんがそれが気になつていて」と供述していることからすると、対向車の前照灯に眩惑されたとは認定し得ないし、わき見運転をしていたのならともかく、小松商店の明りに眩惑されたとも考えられない。また付近には雪の堆積があつたのであるから、黒い和服を着た被害者の発見が特段に困難であつたとも考えられず、いずれにしても、弁護人の右主張は採用することができない。

ただ、こゝで問題にすべきは、被告人が当時前方注視を十分にし、早期に被害者を発見して直ちに制動操作を施したとしても、被告人車のスピードからして、被害者に達するまでに到底停車し得ないと認められるときは、前記被告人の前方不注視の過失と本件事故との因果関係はないことになるということである。そこで、被告人車の当時の速度を(被告人に有利に)時速四〇キロメートルとして、広義の(空走距離を含めた)制動距離を計算する必要が生じることになる。安西温著「自動車交通犯罪」によれば、本来の制動距離(滑走距離)の計算公式は次のとおりである。

そして、当時の路面の摩擦係数は、凍結道路としては比較的走行しやすい道路であつたことを考慮に入れ、前掲書に従い0.2とみるのが相当であるので、右公式により、被告人車の本来の制動距離を計算すると約30.9メートルとなる。そしてブレーキが完全に能力を発揮するまで一秒を要するとして、その間の空走距離を計算すると約11.1メートルとなるので、被告人車の広義の制動距離は約四二メートルとなる。そうすると被告人としては、前方注視を十分にしていても、被害者を三〇メートルより手前において発見し得なかつた可能性が多分にあり、その場合適切な制動操作を施しても本件事故は避けられなかつたといえるのであるから、結局被告人の前方不注視の過失と本件事故との因果関係を認めるに十分でなく、したがつて本件事故に直結する過失として前方不注視をとらえるのは適切でないというべきである。よつて、さらに検察官が主張する減速義務違背について検討を加えることにする。

(三)  減速義務について

被告人が当時進行していた東四丁目道路の制限速度は時速四〇キロメートルであるが、自動車運転者として制限速度を順守していればそれで足りるわけでないことはいうまでもないことであつて、前照灯を下向きにしている場合や道路が滑走しやすい状態になつているときなど、制限速度を守つていても障害物の発見可能な範囲内の距離では停車しえない場合には、右の距離内で安全に停止しうる速度まで減速すべき義務があるものというべきであり、特に障害物の発生が十分に予測されるときは右の減速義務は自動車運転者に強く要求されるものである。

これを本件についてみるに、被告人車の当時の速度を時速四〇キロメートルとすると、広義の制動距離が約四二メートルに達すること、本件事故現場付近が暗くて前照灯の照射距離(下向きのため三〇メートル位)以上の距離の障害物の発見が困難であつたこと、現場付近は住宅街で東四丁目通りには見通しが悪い交差する道路や小路が多く、横断者や車両の出現が予想されるばかりでなく、当時夕方でかなりの歩行者があつたことは前記認定したところであるので、被告人に減速進行すべき義務があつたことは明らかである。問題はどの程度まで減速する義務があつたかであるが、前記諸事情を考慮すると、少くとも時速三〇キロメートル位まで減速すべき義務があつたものと解すべきである。時速三〇キロメートルで当時の路面状態を前提として広義の制動距離を前記の公式に従い計算すると約25.7メートルとなり、前照灯の照射距離内に障害物を発見した場合その距離内で停車しうることになり、一方冬期の凍結道路では急制動はでき得る限り避けるべきであることは経験則上明らかであるので、前照灯の照射距離の範囲内で「安全に」停止しうる速度は早くとも時速三〇キロメートルとみるべきである。なお、本件交差点において被告人進行の東四丁目通りはこれと交差する道路より明らかに広いとはいえないので、被告人は道路交通法上本件交差点に進入する際徐行する義務があるのであるが、当裁判所の検証調書によれば、東四丁目通りを被告人と同方向に進行すると、本件交差点手前三〇メートル位で本件交差点の存在がようやく分るのであるから、その地点から減速して本件交差点に進入する際徐行するに至るには、交差点手前三〇メートル位で早くとも時速三〇キロメートル位で進行していることが必要なのであつて、当時東四丁目通りを走行する運転者はそのような交差点があることを当然予測すべきことであるので、その点からも自動車運転者として右の速度位までの減速義務はあるものというべきである。

弁護人は、被告人進行の東四丁目通りは自動車の交通量が著しく多いのに反し、道路が狭小であるうえ街灯設備がほとんどなく、付近住民に社会不安を起している状態であり、一般行政の過失が大きいと主張する。当裁判所も、前記認定したところから明らかなように、本件事故現場付近の道路環境が悪く、特に歩行者にとつて危険な状態であることを認めるにやぶさかでない。そしてこの道路環境を改善するため、行政当局として、例えば信号機や横断歩道を設置するとか、車両の速度制限を時速三〇キロメートルにするとかの行政上の措置をとるべき責務があることも当然のことである。しかしながら、その道路環境の不備な道路を走行する自動車運転者としては、その不備の責任を行政当局や、いわんや歩行者に転稼してはならないのであつて、かえつてそのような道路では危険の発生が容易に予見されるものであるから、それだけ運転者の高度の注意義務が要請されるのであり、前記弁護人の主張は、情状論としてならともかく、採用するに由ない。また、事故当時東四丁目通りを走行しているほとんどの自動車が時速四〇キロメートル位出していたことは前記認定したところであるが、だからといつて被告人の減速義務が免除されるいわれがないことは勿論である。

以上要するに、被告人としては当時少くとも時速三〇キロメートル位まで減速する義務があり、右減速義務を履行していれば(前方注視義務その他の義務を怠らなかつたことを前提として)、本件事故が避けられたことは明らかであるから、被告人は本件事故発生につき過失あるものといわなければならない。

(法令の適用)略

(量刑の理由)

被告人は業務上過失傷害一件、速度違反九件を含む交通関係の前科が一八件もあり、本件事故もその前科と同じ安易な運転態度に基づき惹起されたものといえなくもない。その結果一人の生命を失せたばかりでなく、被害者の遺族に対しさしたる慰謝の途も講じておらず、被告人の責任は重いものといわなければならない。しかしながら、被害者はたとえ交差点であるとはいえ、交通量の多い道路の車両の直後をその対向車に注意することなく横断を開始したものでその過失は否定し得べくもなく、また被告人が当時進行していた東四丁目通りを他の車両も時速四〇キロメートル位で進行していたのであるから、被告人のみを一方的に責めることはできない。その上、現在被害者の遺族から被告人に対し民事訴訟を起されているが被告人はそれに応じ遺族に対し数額はともかくとして慰謝の途を講ずる旨当公判廷において供述しているので、以上諸般の情状を斟酌して主文のとおりの刑を科した次第である。

(清田賢)

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